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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

随筆 風立つ頃に 2


 瀬戸大橋の全貌です 借り物です


 六

   俺は天使

            どうも今日は嫌な予感がする。

 西の空から東の空にかけて、灰色の雲が広がり、今にも雨が降りそうだ。こんな日は、親父の機嫌が特に悪い。四年前に遭った交通事故の後遺症で頭痛がすると言う。おれは背中のランドセルに入っている漢字の書き取りテスト三十八点を見せるべきかどうか迷っていた。
「三十八点、バカヤロウ!どうせならゼロ点か百点をとってこい。中途半端が一番よくねえ」
と、大きな声で怒鳴られ、週刊誌を丸めて頭を四五発叩かれるに決まっている。今日のところはこっそりと、机の抽き出しにしまっておこう。それが家庭円満の秘訣だ。何も平穏な家庭に波風を起こすことはない。親父の血圧を上げることもない。おれも殴られずにすむし、お袋も親父に味方しようか、おれを庇おうかうろうろして迷わなくてもすむと言うものだ。俺は恨めしげに空を眺めた。

 おっと、おれの名前は吉川勇太。市立壽小学校六年へ組十八番、出席簿は男でビリだ。なにせ、三月二十九日がおれの生誕の日だからチビでヤセだ。何が困るかと言うと、強い風の日にはよたよたとして前に進めないのだ。何時だったか、強い風の日に押し倒されてホールアウトをくらってしまったのだった。と言うわけだから、むろん、勉強もみんなより遥かに遅れ、勉強も体重と背丈に正比例をしているのだった。遅れたのは生まれが遅いばかりではない。小三の時に遊んでいて車とぶつかり大腿骨を折り、二 カ 月ほど入院したのも原因していると思っている。折れた足は釣り上げられ、それを毎日毎日恨めしく眺めて過ごした。あの時に九九の一つも覚えていたらよかったと後悔をしたが、それは寝小便と同じだろう。そんなおれだから、自慢じゃないが授業中に手など上げたことはない。おれが上げても、答えを間違い授業の流れが止まることを知っている先生は絶対に当てない。勉強もスポーツもなじめない。まして、友情を深めるなんてとても出来ない。その上、顔も親父譲りで上等な作りではないから、クラスはおろか全校のメスガキにもてたためしがない。と言ってしまえばおれの取り柄はなにもないことになる。それでは淋しいので、のんびりしていることを上げておこう(どうか野呂間などと言わないで欲しい)。実はそれには深いわけがあるのだ。おれは、何事にも納得をしないと行動を起こさないだけなのだ。おれはおれが正しいと思ったら、機動戦士ガンダムが来ようが、ミサイルが飛んでこようがテコでも動かない。時として、その頑固さにはほとほとおれ自身も嫌気がさすが・・・。だけど、それよりなにより、おれはクラスではひょうきんものとして人気がある。それもオスガキにではあるが。それらをおれの取り柄としておきたいと思う。

 おれの家は、茶店(サテン)をしている。が、お客が入っているところを余り見たことがない。店はお袋がやっていて、親父が手伝っているわけだけれど、どうもおれには親父が邪魔をしているように思えてしかたがない。百獣が住んでいるようなジャングル頭と、ゴキブリの巣のような鼻髭と顎髭を生やして、終日カウンターに腰を掛け、新聞を読んだり、週刊誌を見ていて、客が入ってくると、団栗と達磨を掛けたり割ったりしたような目でじろりと見据えるのだから、幾らお袋がこぼれるような笑顔を振り蒔き、
「いらっしゃいませ」と明るく声を掛けても、お客は帰ろうと言うものだ。店が暇なので、二人はあくびばかりしている。そのためにおれが学校から帰ると、良いおもちゃが帰って来たとばかり構う。店のテーブルで宿題をさせるのだ。そのおれの姿を見て時間潰しをしていると言うわけだ。だから、おれは帰った時にお客がいますようにと心の中で祈るのだ。客が一人でもいれば、おれはおれの部屋で好きなプラモデルいじりや、マンガや、ファミコンゲームをすることが出来るのだ。

 あんちゃんは、中学二年生でハンドボール部に入っているので帰りが遅いから、おれのような思いをしなくてすむ。あんちゃんが帰る頃は多少店もたて混んでいるからだ。

「勉強をしなくては、好きなことも出来んぞ。今、学んでいることは、例えば家の土台のようなものだ。確りした基礎を造っていなくては、その上にどんな立派な家を建ててもすぐガタがくる。漢字が書けんでも、九九や分数が出来んでも飯は喰えるが、それでは余りにも貧しいではないか、さもしいではないか。人間はパンだけでは生きられないものだ。生きると言うことは、一人では生きられんものだ。楽しみ、悲しみ、笑い泣きをしなくてはならん。そのためには、どういう時に笑い、どういう時に泣くかを知らなくてはならん。それが勉強と言うものだ。だから勉強はしなくていいが多少は必要なのだ」 これが親父の口癖なのだ。そんな時、
「おとん、新人賞をいつとるん。直木賞は、芥川賞は・・・」と、おれは逆襲する。
 親父は目を白黒させ、口をパクパクさせて、おれを恨めしげに睨みつけて黙りこむのだ。
「お父さんは、お父さんなりに一生懸命に勉強しているのだけれど、お父さんより、少し勉強する人がいて・・・。だから、勇太君も勉強しなくてはいけないのよ」
 と、側で聞いていたお袋が、親父への助け舟を出すのだ。その言葉には多少皮肉が込められていたように思う。そんな時、ああこれが夫婦愛ってやつかとおれは思うのだ。
 親父は売れない物書きだと言っている。店の二階の書斎兼寝室には壁一面にやたら難しそうな本が並んでいて、床が下がっている。階段にも雑誌が天井まで積上げてあって上がり下りが不自由なほどである。机の上にはなにも書いていない原稿用紙がドサット置いてあり、その上に太い万年筆が転がっている。屑篭には書き損じの原稿用紙が丸められて捨てられている。まるで書斎の風景は親父の言う売れない物書きのものだ。

 おれ達一家は、年に二回演劇を観る。親父が台本を書き、演出をしたのを観るのだが、正直なところ良いのか悪いのかおれいは分からない。が、お客があくびをしたり、つまらなさそうな顔をしたりしているので、たいしたことはないのだろう。親と子の付き合いもしんどいものだとそんな時つくづく思う。おれは付き合いだから、義理だから、真剣に演劇なんか観ず、小便にかこつけて外に出て遊んだり、自動販売機の缶ジュースを買って飲んだりしている。舞台裏を覗くと、親父が苦虫を潰したような顔をして、舞台の袖から役者の演技を睨み付けるように観ている。
「アホ!バカ!スカタン!マヌケ!教えた通りにやらんかい」と独り言を言い、やたら煙草をふかしている。
「おとん」おれが近よって声を掛けると、
「席に帰って観とれ。・・・あいつら、わいの芝居をわやくちゃにしやがってからに」と口汚く罵り、頭を抱えている。親父は親父なりに悩んでいるのだなあと思い、少し可哀相になり、おれは席にすごすごと引き上げる。「もうやめた。芝居なんかもうこりごりだ。金輪際やるもんか。誰がなんと言ってもやるもんじゃねえ」
と、帰って来て言うけれど、次の年も懲りもせず台本を書き、演出をしている。大人の世界も、親父の言葉も良く分からないけれど、乞食と役者と代議士は三日やったら止められぬと言う口癖が、親父を演劇へとかりたてているのだろうか。お袋は親父のそばでにこにこと笑っている。その笑いは半分以上親父の行動を諦めているものであるらしい。出来もしない決断をやっている親父に対して、笑って受けているお袋は本当に大きな袋を持っているのかも知れないと思う。

 そんな家庭で生きているおれだから、他の子供中心の家庭で育っている友達とは少し違う。つまり、おれの意思を尊重すると言う親父の言葉は世間にはよく聞こえるが、言うなれば放任主義なのではなかろうか。面倒臭いと言うことなのではなかろうか。親父はなんでもおれが知りたいと思うことは教えてくれる。一を尋ねると十を教えてくれる。つまり教えたがり屋である。例えば帽子のことを聞くと、話は靴下まで及ぶと言うわけなのである。何時だったか、豊臣秀吉のことを聞いてひどい目にあった。なんと話は司馬遷の史記にまで遡ったのだ。しまったと思ったが後の祭りであった。教科書どおりには教えてくれないのだ。だから親父の教えてくれたことを解答にしたら×だった。豊臣秀吉をスッパ(忍者・スパイ)と書いたのだ。それを親父に言うと、×をつけた先生に解答を訂正しろとねじこんだので、先生は専門書を乱読しなくてはならなくなったらしい。おれはそれで先生からまた白い目で見られる羽目になった。奇人の親父を持つと子供は気苦労が多いいのだ。
「男と女のことで分からないことがあったらどんどん聞け」
 これも親父の口癖である。店にはおなんの裸の写真が載っている雑誌や、ヤラ本のマンガも多いいので、おれに免疫をつくらそうと言う魂胆であるらしく、ここには書けないようなことを平気で口にする。おれが知りたくないのに、おれの頭に叩きこもうとする。だから、大抵の事は知っている。おれは時々不安になる。大人になったらどうなるのだろうかと。
 これくらいでおれがどのような両親に育てられたか、そして、現在がこうなのだと言う判断の材料になったかな。

 ぽっんぽっんとアスファルトに小さな黒い点が広がったと思ったら雨になった。おれは走った。店の方から帰ると、親父が男か女か分からないような風貌の人と話していた。しめしめ、おれは「帰りました。いらっしゃい」と言って急いで裏の部屋へ逃げ込んだ。
「勇太君、宿題だけはするのよ」と鈴を鳴らしたようなお袋の声が背にぶつかってきた。
「はーい」と返事はしたけれど、そう簡単に宿題に取りかかれるものではない。なにせ、おれはのんびりしているのだから。それに、本棚にあるマンガ本がおれに微笑みをかけてきているのだ。机の下に隠してあるプラモデルが一緒に遊ぼうと甘い囁きを投げてきていた。ファミコンゲームのディスプレーが退屈そうにあくびをしていた。それらの誘惑を振り切って、ゆっくりと服を着替えた。そして、マンガ本をとって読む。おれはマンガ家になろうと密かに決めていた。
「マンガばかり見ていてマンガ家になった奴はいないぞ。マンガ家になりたいのならマンガに溺れてはならん。夢とか希望は大きいほどいい。が、それなら死ぬ思いで二階の本を全部読むくらいの勇気と忍耐力がなくてはならんぞ」
 どこでおれの心を覗いたのか、親父がそう言った時には飛び上がるほどびっくりした。そのことを思い出して、おれはしぶしぶ机に向かった。担任の鬼の明楽が、おれのためにわざわざ宿題を作ってくれたのを、ランドセルから引っ張り出して見る。漢字の書き取りがビッシリとある。これこそ本当にありがた迷惑なことである。けれど、せっかくおれの将来の礎のためと思って作ってくれたのだからしないわけにはいかないだろう。と思って鉛筆を持った。
「テストをし、採点をしてすぐ返す先生は信用してはいかん。テストとは、自分の授業が生徒にどれだけ分かっているかの基準にするべきものであって、その結果によって教育の在り方を考え直すべきものであるからだ」と、言うのが親父の理屈である。おれにはよく分からないことだ。
「ほほう、やっているな。大雨にならねば良いが」
 親父が部屋を覗いて声を掛けた。
「おとんが原稿を書いたらやむかもしれんで」
 おれはそう軽口を叩いた。
「検閲!」と、親父は叫んでランドセルの中を調べ始めた。
「おとん、なにをするのなら。それはプライバシーの侵害じゃど」と、おれはランドセルをひったくった
「このドアホ!社会の教科書の問題を作った出版社のような事を言うのではねえ。あれは明らかに進出ではなく侵略だ」と、親父は向きになって言った。が、おれはランドセルの手を離しはしなかった。
「なにをわけが分からんことを言うとんなら、おとんは、僕の部屋への侵略をしてランドセルの掠奪をしようと言うんか」
「やかましい、これは親権によって行われる正当な行為なのだ」
「それは真剣に親権の濫用と言うもんじゃ」
「その態度、自分を過剰に防御しようとする保護心理は、裏を返せばおまえの心に疚しいことがある証拠だ」
「そう言うおとんは・・・」
 おれは言葉を捜したがもう底をついていた。
「国語のテストが入ってあると顔に書いてあるぞ。点が悪くて見せられんとも書いてあるぞ」
 そう言われておれは自然に手を顔に持っていっていた。しまったと思ったが夢の中の小便だった。
「どうやら誘導尋問にかかったな。お主は若い。おとんに立ち討ちしようとするならば、例えば三十年早い」
 言葉のやりとりの間、引っ張られたランドセルはキュキュと悲鳴を上げていた。
 親父は雨の日には頭痛と一緒に、脳の回転が早くなる。そして、粗野になるのだ。そのことをおれは反対性理論と名付けて気を付けていたのだ。だからテストは机の一番下の引き出しにそぅと忍ばせていた。
「こら、怒らんから出してみろ」
「なんにもはいっとりゃせんで」
「出してみろと言ったら出してみろ」
 むきになった親父が馬鹿力でランドセルを引っ張った。おれもあらんかぎりの力で負けてなるかと引っ張ったが、おれはランドセルが可哀相になり力を緩めた。
 親父はひっくりかえりロッカーにぶつかった。その拍子に上からプラモデルが数個、親父の頭を直撃した。
「まだこんなものを作っとんか」と、言ってプラモデルを壊し始めた。
「やめてくれ。それは僕の命から二番目に大切なものなのじゃから」おれは半べそをかきながら言った。
「素直に出さんからだ」
 親父は頭と尻を擦りながら言った。
 おれは東大寺の仁王さんのような親父の顔を見ていてしらを切り通す自信がなくなった。机の引き出しからテストを取り出して親父の前に出した。親父はそれを手に取り、
「素直に出せんわの、三十八点でわな。でも、この前の二十三点より十五点も良いではないか。何も隠すことはないではないか」
 頭を二三発殴られることを覚悟していたおれは、あれと思い拍子抜けをした。雨が降る筈だ。まてよ、頭が割れるほど痛んでげんこつを振り上げる元気もないのだろうかと思った。
「おとん、今日は何かあったんか」
 良く見ると何時もの顔色ではなく、今日の空のように暗雲がかかっているようであった。
「うん、まぁあったかと言えばないし、なかったかと言えばあったし・・・」うわの空で言った。
「頭がいたいんか」
「うむ、まあな」
「なんか気味が悪いで、いつものおとんと違うけえ」
「何時も怒っとる方がえんか」
「そりゃあ、今日の方がええにきまっとるが・・・」
「おとんはな、考えを変えることにしたんじゃ。人間にとって一番大切なものは何かをこの歳になってようやく気付いたのじゃ。おまえ等に偉そうなことは言えんな」「ふん」
「今、おとんが店で話をしていた人の子供が病気で入院しとる。・・・それを聞いてな」
 大きな親父がなんだか小さく見えた。
「勇太、人間にとって何が一番大切じゃと思う」
 親父は真剣な顔をして言った。こんな顔は今まで見たことはなかった。
「そりゃあ・・・色々とあるけえど」
 おれはあれもこれもと考えた。
「さっき勇太が言ったろうが、プラモデルは命から二番目に大切じゃと」
「ああ、そうじゃ、命か」
「その子はあと半年のいのちと言われたらしい。・・・それでおとんも考えた。勉強なんかどうでもええ、健康が一番じゃとな」
「ふん・・・じゃけえど・・・勉強も大切なんじゃろう」
おれは親父の顔を覗きこんで言った。
「いや、そとへ出て遊べ・・・身体を鍛えろ・・・。その子は勉強ばかりしとったらしい。が、・・・あの世で役にたてば良いが・・・」
「そんなら、僕はどうすりゃええん」
「好きなように生きりゃあええ。おとんはもう勉強のことは言わん事にした」
「おとんは僕のことを見捨てるんか」
「おまえの思うように生きりゃあええんじゃ。勇太の人生じゃからな」
 そう言われるとおれは困る。はいそうですかと遊べるものではないからだ。それは一番おれにとってこたえることなのだ。
「僕は二階の本を全部読んでマンガ家になるけえ。そして、おとんに楽をさせたるけえ」
「そう無理をせんでもええ。人生は短いようで、また永いものだ。急ぐこともあるまい」
 そう言って肩を落とし二階へ上がっていった。余程、友達の子供のことがショックだったらしい。おれは鬼の明楽の宿題に取りかかった。分からぬ漢字ばかりだった。あのいがぐり頭の明楽はひょつとしたら中国人ではなかろうかと思った。
 おれは宿題を持ってトントンと二階の階段を上がっていった。親父は机の上の原稿用紙に向かってペンを走らせているところだった。
「おとん、少しばぁ教えて欲しいんじゃ」
「漢字なら、おとんより辞書の方が良く知っとるぞ」
 と分厚い辞書を出した。相当の重症だと、思った。
 何時もなら、こんな字が分からんのかと、おれの頭をこつきながら教えてくれるのに、今日の親父はビスターのようにおれの意思が通じなかった
「おとん、煙草の本数減らし、身体に気を付けてくれんとおえんど、まだまだくたばってもろうては困るけえな」涙線の弱い親父に優しい言葉を投げつけた。
「ああ、煙草もやめた、夜ふかしもやめた。新人賞も、直木賞も、芥川賞も命に比べたら屁のようなものじゃ。かあさんがいて、豊と勇がおりゃあ、それで幸せよ」
 弱々しいおとんの声が少し湿っておれの前で落ちた。親父は作家らしく、友達の話を聞いて追体験をし、自分が不治の病の子を持った親の心境になっているらしい。マンカ家の先生もそのような追体験をするのだろうか、それなら御免だ。幾ら強靭な身体と精神があってもたまったものではなかろうと思った。

 その日から親父は変わった。難しく言えば、今までは心の大切さを説いていたのに、今は肉体の大切さを説く人に変わった。更に言い換えれば、精神の大切さから物質の大切さに変わった。更に言葉を替えれば、唯心論から唯物論に変わったのだった。おれは理解した。あの大東亜戦争のおり、天子様を説いていた先生が、実は天子様は人間だったと言葉を翻した時の心境が親父であり、神と教えられた生徒が、神は実は人間だったと聞かされて一体なにがどうなったのか分からなかった生徒の心境がおれなのだと言うことらしい。
 それからは、あんちゃんやおれに勉強をしろとは一切言わなくなった。張り合いがないったらありゃしない。親父の怒る声と、げんこつがなんだか懐かしくなってきた。
 家の中にはどんよりとした墨を流したような雪雲が垂れ下がっていた。その所為か心も身体も寒かった。
「あれじゃあ、まるで病人じゃ」とあんちゃんが言った。あんちゃんもこのところ学校から早く帰っている。
「うん。今はまだ病人じゃねえけど、いずれ病人になるで」おれが言いたかったのは、親父は半病人であるって事だった。
「なにか、ええ方法はないじゃろうか?」
 おれは思い付いていることがあった。一か八かやってみるしかないと思った。
「ショックでああなったんなら新しいショックを与えるしかないと思うんじゃ」
 おれは精神病患者に施す治療を親父から教わっていたのを思い出していた。つまり、電パチ、ショック療法と言う奴である。
「ええ考えがあるんか」
「あるある。それはなあ・・・」
 おれはあんちゃんの耳に口を寄せある事を吹きこんだ。これは今までどんな名医も施したことのない治療方法だろう。まあ、小六のガキのおれが考えることだから、月並みと言えば月並み、バカらしいと言えばバカらしいものだった。
「それはええかもしれん。やってみるか」
「うん、次にやるよ」
 あんちゃんとの相談はまとまった。
 それはなあ・・・おっと、ないしょ、ナイショ。

 それから数日して、おれは二階で原稿を書いている親父にテストを見せに上がった
「十二点しかとれんかった。最近、おとんが何も教えてくれんけえ」
「ほう、十二点か、まあいいではないか。前より少し悪いが、O点より上だ」
 親父は動揺もせずに言った。喜怒哀楽の激しい気性はどこへ、本当のところどこへ行ってしまったのだろう。
「人間は心が柔軟であればあるほど喜怒哀楽が出るものだ。それを押さえるのは素直ではないし、ストレスがたまる素だ」と親父は良く言っていたのだが・・・。
 おれの考えは通じなくて肩透かしを食らってしまったのだ。あんちゃんも同じようなことを言われたらしい。こうなったら男の意地だ。絶対に親父をおれの方に振り向かせてやる、と心に誓った。
 友達と喧嘩をした。校舎の窓ガラスを割った。早速学校から家に電話が入った。学校と言う所は、生徒がなにか悪いことをすると親にすぐ電話をかける。先生と生徒がその事について話し合わないのだ。それがおれには幸いだった。
「ほほ、そうですか。まあ、子供は喧嘩もすれば物を壊すくらい元気がなくてはいけません。当方では寧ろ奨励しているのです。喧嘩をして初めて本当の友情が生まれるかもしれないし、物が壊れることで世の無情を知る事になるものですから」」
 と、親父は平然と屁理屈を並べ、鬼の明楽に対抗したらしい。明楽の細い眉が釣り上がり、薄い唇が耳まで裂けるのをおれは頭に描いた。
 次の日、鬼の明楽は鼻の穴を大きく開けて、おれを睨みつけながら、
「君のお父さんは、歴史のテストの時の答えといい、昨日の電話の応接といい、大分変わっていますね」
 と、言ってぷいと顔を背けた。鬼の顔がひょっとこに見えて腹を抱えて笑った。が、家庭の中には不気味な空気が流れていた。
「ふふう、今度は八点ですか、前より少し落ちたが、なに十点満点と思えば気が楽ではないか」
と、動じる事なく、笑顔まで作って優しい言葉を発したのだ。おれは背中に冷たい汗がドット溢れるのを感じた。これは身体にも心にも決して良いものではない、永く親父と付き合っていたらこちらまで可笑しくなりそうだと思った。おれの作戦は見事に外されてしまった。相手にされないと淋しいものだ。あの濁声を聞かないと落ちつかないものだ。怒鳴られないと張り合いがないものだ。と言うことを嫌と言うほど味合わされた。
 おれはまたあれこれとない知恵を絞って考えた。あんちゃんにも相談した。そして、その結果は、今度は勉強をして百点満点を取れば、親父はびっくりしてひっくり返り元の親父にかえのかもしれないという結論に達したのだった。よっし、やるぞ、これも世のため人のため、ひいては自分自身のため。これも親父のため・・・。
 おれは勉強をした。この調子で勉強すれば東大の先生になれるかもしれないと思えるほどやった。次のテストの時、百点を取った。鬼の明楽がおれを変な目つきで眺めていた。その目はカンニングをしたのでしょうと言いたそうな目であった。おれはその目を怒りの眼で睨み返してやった。
「けけう、百点か、ほほう、やれば出来るではないか。だがな、いくら勉強が出来ても身体が弱くてはなんにもならないぞ。なにも、勉強が出来て東大に入り国を動かすことの出来る人間にならなくても、人様の邪魔になる石を動かせることも立派な生き方ではあるのだからな。決して無理はいかん、次からはほどほどにすることだ」
 親父は穏やかに言ってのけた。
「おとん、おとんの方こそ身体を壊すなよ。僕のことは心配はいらんけえ。今日のテストはほんのまぐれよ」
 なぜか涙が頬を伝っていた。それは感動の涙だったのだろうか、心が通わない悔し涙であったのだろうか。はたまた、いくら投薬をし、注射をしても一向に良くならない患者の担当医師の焦りに似たものであったのだろうか。
 よっし、こうなれば最後の手段だ。つまり本当のショック療法しかないとおれは思った。

 学校から帰りに、友達の家に遊びに行った。日が暮れても帰らなかった。宮沢賢二の銀河鉄道があったらそれにのっかつて宇宙を旅したいところだった。おれは友達の逢沢賢二の所で、銀河鉄道と言うテレビゲームをしていたのだ。家ではお袋が、気が触れたように大騒ぎをしているとの連絡が、あんちゃんから入った。が、肝心の親父は平然としていると言うことだった。
 これも失敗か、もうあらゆる手は尽くしたが助からぬ、予後不良患者だと諦めて家に帰った。
「ただいま!」おれは大きな声で言った。
「どうしていたの。こんなに遅くなって、今、何時だと思っているの」
 お袋は飛び出してきて、おれのほっぺを力いっぱいぶった。
 その時、二階から物凄い音がして親父が駆けり下りてきて、なにも言わずにおれの頭にハンマーを下ろした。「このドアホ!親に心配を掛けるのが一番いけねえ。今晩の飯は抜きだ」
 元気な頃の親父のバカの大声を、おれは嬉しく聞いた。そうでなくては。それでこそ親ってもんだぜ。と、おれは心の中で呟き涙を流した。
「これ、泣いてないでお父さんに謝るのですよ」
 お袋がおれの肩を押さえて言った。
「ちょっと、遅うなっただけじゃあなえか。そんなに怒らんでもええじゃねえか」
「なに!親に向かって口答えをするのか」
 親父の膝蹴りがおれの尻に飛んできた。
 痛くはなかった。愛のむち、言葉のむちを、おれは快い気分で受け止めていた。
 おれは夕食抜きで、腹の虫がグウグウ鳴くのを堪えるのに涙が出た。これで元の元気な親父になってくれるのなら、お安いものだと思った。世話をやかせる親父だぜ。でっけえ身体をしてはいるが、精神年齢はおれとどっこいどっこいだぜ。
 今年も親父の芝居を観に行こう。今度は真面目に観よう。それらは、親父の分身なのだから。
 おれが小便に起きると、二階のドアの隙間から一筋の明かりがこぼれていた。親父とお袋の声が微かに聞こえてきた。それは声が降ると言えばいいのか。おれは声に惹き付けられるように階段を足音させないように殺して上がった。
「あいつの子は死んだらしい。子供は天使だと言うのに・・・。あいつの心を思えば・・・。うちのわるガキの天使のやつ、なかなか手のこんだことをしよって・・・。だが、その心がうれしいよ。やはり、おれの子だ」
 おれはそれを聞いて、眼の奥が熱くなり涙がとめどなく流れた。

 ちくしょう!

 親父の奴、おれより一枚も二枚も役者が上であった。そりゃそうか、売れないとはいえ、読者に嘘八百を並べて騙している作家であったのだ。
  



 この続きはじぃじのパソコンの中にあるから興味と好奇心があれば読んでほしい。

(さて、少し休んだので「風立つ頃は」をつづけることにしょう)

     七

播磨の赤松の家臣であった。とか、平家の落ち武者であったとかいろいろと耳に入ってきた。平安末期まで遡って行く分からなくなる。その時代にも生きていたのは間違いがない。そうでなくては血が途絶えて今を生きている人がいなくなることになる。
 
 瑞恵の系譜は児島の野崎と荻野から分かれて古谷野と名乗り、江戸のはじめ津田永忠が藩主の命により開墾された児島郡福田村古新田字三の割へ出てきたという話を聞いた。瑞恵の母は竹井家、高梁川の上流に里を持ち、そこから水島南畝へ出てきたらしい。この話は義父母から聞いたことなので真実だろう。義母の美子は男一人、女三人を生んだ。義父の豊は美子と結婚して戦争に行き肩に銃弾を残し退役し満鉄に入ったという。古谷野の家は子たくさんで豊がもらう田地はなかったので満州に渡ったのだった。終戦の前、ソ連軍が不可侵条約を反故にして満州へ侵攻してきて、豊か一家はほうほうの体で日本の土を踏んだという。古新田に帰り、兄弟の手伝いをしながら働き土地を少しずつ増やしたのだと聞いた。瑞恵は二女で大変な苦労をしたという。電気も水道もなくランプと緯度の水での生活だったという。かますを織り、漬物屋へ手伝いに行き高校へ通ったと聞いた。ランプのホヤの掃除は大変だったと言った。藺草を植え、葡萄の栽培をし、米や麦を植えた。それも
水島コンビナートが出来て工場の煙にやられたという。今の繁栄があるのはコンビナートのおかげであるが、その煙で多くの人が公害ぜんそくの犠牲になった。
 悠が瑞恵と結婚し古新田に来た頃は、南の空は燃えていた。何百という煙突から五十メートルの炎が空を焦がしていたのだ。夜でも明かりがなくても新聞が読めたのだ。
 悠は公害闘争をした。死んでゆく人をただ黙って見ていることが出来なかったからだった。

 人間が生きると言うことは何かの犠牲の上に成り立っているものだ。人の不幸の上で贅沢に暮らす、動物を食べ、野菜を食べる。水を飲み、水を汚す。それらに何ら矛盾を感じない人間という動物は傲慢なのか。自然はその人間の愚かしさを浄化してきたが、君たちの時代に成ってそれがあるとは限らないだろう。
 
ここまで書いて、悠は嘘を書いているかもしれないと思うようになった。が、このすべては聞いたことなのだ。それが偽りではなかったこととして信じるほかないのだ。信じる、信じる事は尊い、何も信じられない世の中に人は住むことは出来ないのだ。

風が立ち、やがて冬が来て寒い日々が訪れる。春に咲く花は冷たい土の中でじっと耐える、冬芽はそうして春に美しい花を開く。人もまだ同じでなくてはならない。堪え忍んだ花だけが本当に美しい花をつけるのだ。

瑞恵を乗せて瀬戸大橋を渡った。母の里へ行ったが、以前あった墓は見あたらなかった。叔父安治の子清秋が、西行法師の入滅した大阪は南河内の弘川寺のあたりに家を新築したときに移築したのではないかと思った。
大森家の大きな墓標もなくなっていた。

時とともに有り様は変わる。それが時代というものだ。いくら過去を探してもなくなっているものが多い。

 過去の人たちは今を生きている人の心にある。

「今年は颱風が来なくて良かった」瑞恵が言った。
「それも困ることだ」
「なぜ」
「颱風のおかげで渇水が免れることが多いいから」
「これから一体何処へ地球は向かうのかしら」
「さあ、このような地球の状態は何度となく繰り返されて来たのだから・・・」
悠はそこで言葉を留めた。
そんな会話をしながら車は家路を走っていた。
 
 秋の風は柔らかく取り巻き、心地良い流れをもたらしてくれていた。やがて訪れる冬の前触れであろう雲の色が変わろうとしていた。


人は生きて行く中で、世の中の身分や職責の高低、貧富に左右されやすいがそれが何であろう。そのことに心を裂いていては自らを成長させる努力を低下させることになるのだ。
 自由に生きたまえ・・・。血筋がよかろうが悪かろうがそんなことは幸せとは何ら関係がないことなのだから・・・。職業に卑賤はない・・・。人の命に差別はない。幸せについては人それぞれの価値観がある。相応の生き方、いくら人から何を言われようと卑屈になることはない、それを自らが選んだことだとしたら胸を張って生きることだ。心だけは卑屈にならなかったら何をしてもいい。人の生き方考え方は顔に出るものだ。
 幸せとは自分だけの幸せであってはならない。一人が一人を幸せにする、それが最初の感じる歓喜の感情でなくてはならない。それからたくさんの人を幸せにすることは何をすればいいのかを考えることだ。そのすべてのことは現状が相応に生きていることで生まれることなのだ。
 これからの日本は最も人間性を問われるものになるだろう。今までの価値観では測れない不測の時代になると思って準備を怠ってはならない。
 人が生きると言う問題を第一義として考慮し、そこから目をそらしてはならない。
 健康、平和、社会との協調、それらを認識してあらゆる問題に対処する事が不可欠である。
 社会の成長、を見据えそのなかでどんな思いを持って生きるのかと言う哲学を持ち忘れてはならない。
 将来、ロボット、AI などの人間の排除、その対抗策を考えて幼い見ろから備えなくてはならない。オールマイティーな人間になるよりスペシャリストとしての生き方を会得してそれに備えなくてはならない。
 幸せの基準もおのずと変わるだろう、が、伴侶を見つけ子供をなして、の家庭こそが先祖から受け継いだ血を伝承しそのなかで生き継ぐと言う事を忘れてはならない。
 備えよ、社会の歯車でなく、ささやかな生き方のなかに自分を確立する生き方を会得することに努力する事を…。
来る未来、人の瞳が輝いている事を願う。
 



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